自転車☆妄想日記: 2011

2011-10-30

手組みホイール Excursion編

自転車を盗まれたショックを払拭すべく、以前から持っていたescapeの再塗装(ラッカー&ウレタンクリア)が仕上がったのが九月。それから全く組み立てが進んでいない。その原因は、肝心のホイール組み終わらなかったからだ。


何度かやりなおしてみたものの、仮組みの途中で長さが足りなくなってしまうのだ。「もしかして、スポーク長計算間違えたか?」と思い、なんだかやる気が無くなって、そここで仕事が忙しくなり放置状態、組み掛けのホイールは部屋の隅にポツリと置かれて・・・・。


さてその後。比較的に時間の余裕が出てきたので再度スポーク長を計算してみた、すると・・・・、やはりスポーク長はあっているように見える。自分の計算を信じて、もう一度このスポークでやってみるか、と重い腰を上げて仮組みにとりかかった。今度は出来るだけ締めこまずに仮組みを進めてみると、ちゃんと組むことが出来た!

どうやら、最初のスポークを締めこみすぎていたようだ。このホイールで3本目ということもあり、若干大胆になりすぎたのが原因だった。その後の振れとり作業はさくさく進み、二時間も掛からない内にフロントが組みあがった。均等に締めこんでいったら、殆ど振れとりは必要がなく、センター出しだけで済んでしまった。

導入の経緯はともかく、ここで手組みインプレッションとスペックを書いてみる。ちなみに、計測した結果はネットで拾ってきたものではなく、全て実寸なのであくまで参考程度に参照してね。



コンセプト

今回は高い金を払いたくない安いほうが太くて重くて頑丈なんでは?という発想で、リムはアンブロ・クリンチャーでもっとも安価なリムであるExcursionをチョイス。

ハブは同様の理由に加えて、8スピードに対応する必要があったのでTiagraハブをチョイス。安価という意味では、Soraでいいじゃんという気持ちもあったが、それほど価格差が無かった為、こちらにした。あとでチェックしたら、10スピードにも対応しているらしいので、将来的なコンバートにも対応しているのでちょっとラッキーだったか?しかし昨今はTiagraでさえ10スピードに対応してしまい、その内8スピードは絶滅してしまうのだろうか?と少しだけ心配してしまった・・・。

スポークはDT SwissChampion1.8mm。もちろん、コストと剛性が選択理由。


価格

大体、13000位。安い・・・。


手組み感

リム単体の状態ですでにカッチカチだったので、もしかすると、と思いながら均等に締めこんでいったところ、殆ど振れが出なかった。立てブレは殆どなかった為、振れとりなし。途中でセンター出しを行い、最後に横ブレの微修正で完了。ものすごく組みやすかった。超オススメ、といいたいところだけど、万が一精度が低いリムに当たってしまった時は、修正するのが難しいかも?と思ってしまった。それほどカタイリム。


試走感

これは後日追記します。



次回は自転車組み立てが完成してるといいなあ、とかいいつつ、チューブラーを手組みするかもしれない・・・・・。




本日のパーツ

  • Rim: Ambrosio Excursion (Silver)
  • Hub (Front): HB-4600 (Tiagra)
  • Hub (Rear): FH-4600  (Tiagra)
  • Spoke: DT Swiss Champion (Silver 1.8mm)


本日のスペック(実測)
(単位:mm)

 ERD: 600
 Front
  PDC: 36
  FCD(Right): 36.5
  FCD(Left): 36.5
 Rear
   PDC: 36
    FCD(Right): 31
    FCD(Left): 47

2011-09-04

初めてのレース

つい先日のこと。JCSCのレースに出走してきた。エンデューロには出たことはあったけど、本格的に競り合うレースは初めてのこと。出走するレースは、2011年JCRC第七戦修善寺CSC(サイクルスポーツセンター)。噂によると、「キビシイ」コースらしいが、一体どうキビシイのか良くわからない。基本、登りが不得意な僕は、そのキビシイが登りのことを指してるとしたら、全く勝負にならない(どころか完走も出来ない?)、とちょっとだけモヤモヤした気分で当日を迎えた。

現地へは輪行で向かった。なにしろ、マイカーどころか免許すら持っていないのだから、致し方ない。朝起きると、外は土砂降り。


なんとなく、予想はしていた。何しろ、僕は雨男なのだから。


僕が参加するXクラス(脚力判定クラス、初回はみんなこのクラスに出なければいけない)のスタートは9:00きっかり。それに間に合うには、川崎4:45発の東海道線に乗車する必要がある。僕は土砂降りの中、川崎に向かって自転車を走らせた。が、雨の影響(と久しぶりの輪行での不手際)で4:45発を乗り過ごしてしまった。これが大きな失敗の始まりだった。

5時台の電車に乗り、塗れた身体を乾かしながら、向かうは小田原の先の熱海、更にその先の伊豆多賀駅。修善寺駅方面に回りこむと、時間が掛かってしまうので、伊豆の東側から一山超えてCSCに駆け下る、という算段だった。これも今から考えると無謀な計画だった。

熱海の電車待ちの間、立ち食いで蕎麦を一杯、補給食のどらやきも駅中の売店で購入。伊豆多賀駅は無人の寂れた駅で、苔むした駅前の駐車スペースで自転車を組み立てた。雨も小降りになっている。さあ、いよいよ、CSCまでヒルクライムだ!


と、勢いよく駅を飛び出して民家をぬった坂道に突入したが・・・・・、そこは、予想以上の激坂だった。よくこんな場所に住めるな、と、峠に行くときは、毎度ながらにそう思う。日本の峠は、麓の民家がある地帯の方が傾斜がきつく、頂上に向かうにつれて緩くなることが多い、気がする。


なんとか急傾斜ゾーンを抜けて普通の坂道になると、一気に辺りは家がまばらになり、タイミングが悪いことに又雨が強くなりはじめた。ヒルクライム中のカッパの着用は、蒸し風呂状態になってしまう。メガネも雨と高い湿度と僕の汗で始終曇りが取れない。峠の道は細いワインディングになり、木々で覆われ、薄暗い。ふと横を見ると、大きめの看板に「中野林道」とある。この時点で、すでに脚が張り、ちょっとレースが出来るレベルか不安になってきた。


中野林道は傾斜こそきつくないものの、予想以上長く感じた。なんども額の汗をぬぐい、メガネを振って水滴を飛ばし、ようやく林道出口についた頃には、既に脚は売り切れていた。時計を見ると、既に8時20分を回っている・・・・・。ここから下り基調とはいえ、9時の出走に間に合うだろうか?そもそも、出走の30分前に受付しなければならなかったはずだが・・・・・。かなり諦めムードに支配されたが、とにかく全力でダウンヒルすることにした(といっても、せいぜい時速50キロほどだが)。


CSCの看板が見えたのは8時40分頃、全力でCSC内の坂を登り(これがまた急なんだわ)、ヘトヘトになってコースの受付に着いたのは、なんと8時50分!!

「Xクラス、出られますか!?」僕は受付の女性に叫ぶように言った。カッパは着たままだ。

「あ、・・・・もうスタート地点にいて、・・・・・Xクラスって、スタートしちゃった?」女性は隣の受付の人に聞いていた。「とにかく、ここにサインを!」

僕は震える手でサインを済まし、カッパを着たまま、サドルバッグを付けたままでスタートラインに向かった。雨はここに来て、さらに強さを増した。まさにバケツをひっくり返したような状態だった。


スタート地点では、すでにXクラスの選手が並んでいたので、僕はその最後尾ついて、隣の人に尋ねた。「Xクラスの二組目って、ここでいいですか?」(Xクラスは人数が多かった為、二つの組に分かれてスタートする。)

「ここだよ、一組目はもうスタートしたからね。」



ギリギリ、セーフ・・・・・。サイコンの時計をみると、8時55分だった。僕はすこしだけほっとした。


落ち着いて辺りも見ると、カッパを着てるのは僕だけで、ましてサドルバッグをつけたままなのは、僕だけだった。ナンだか浮いていたが、何しろ雨がひどく皆が寒がっていたので、カッパの件はむしろラッキーな気がした。カッパ着用でも、震えるほど寒かったが。


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さて、肝心のレースだが、・・・・・・・・・・。まあ、予想通り。

スタートしていきなり登りが始まり、「そろそろ平坦来るかな?」なんて思って走っていても、果てしなく登りは続いた。登りが終わったら、イキナリ下りが始まり、そして又登りが始まる・・・・・・。


コースは5キロだったけど、その中に二つ位のアップダウンがあって一周終了。要するに、ヒルクライムレースみたいな感じだった。ただでさえ疲労しているのに、こんなキビシイコースで僕が集団についていけるわけも無く。気持ちも脚も、あっと言う間に切れてしまった。修繕寺は登れない人にチャンスは全くないコースだった。


その後は、いつものパターン。ずっと一人旅で三週をこなしてゴール。ゴールまで、40分もかかってしまった。おそらく、完走扱いにはならないだろうな、とガッカリし気持ちとサバサバした気分が入れ混じじっていた。その後、ちょっと休んで、帰宅することにした。翌日は仕事なので、出来るだけはやく帰りたかったのだ。


帰りは、修善寺・三島経由で箱根を越え、東海道沿いに自走することにした。とにかく疲れていたし、雨も止まない上に霧がひどかった。箱根の登りでは何回も休憩した。何故かママチャリで坂を下ってくる高校生にすれ違いに激励されて、力なく右手を挙げた。とにかく、ヘトヘトだった。

しかも、帰りの藤沢バイパスでは盛大にパンク(ケーシングが露出・・・)。戸塚の駅からの輪行することにした。輪行袋に詰めるのは苦手だが、何故かこの時に限ってうまくいったので、パンクで落ちていた気分が少しだけ持ち直した。



・・・・・・・・・・・・・・・・



その翌日、レース結果を見ると、なんとか完走扱いだったらしい。次回はFクラス(一番低いクラス)だということだ。まあ、DNFに比べればいい結果だと思うが、やはり悔しい。次回は課題の登りをナントカして、もうちょっといいリザルトを出したいなあ・・・・・・。


いや、そういう問題でもないか。それよりまず、ちゃんとしたコンディションでレース出れる計画を立てたほうが・・・・・。









2011-04-28

単独じゃないツーリング 再び

昨日、数少ない友人の中で更に数少ないロード乗りのトニ山さんとプチツーリングに行ってきた。目的は「FELT F1」の試し乗りである。

そう、実は先週末、既にF1は組みあがっていたのだった。組み立て日記の方はどうなったんだ、という声もあるかもしれない。こちらの方は現在作成中であり、近い内にアップする予定である。要するに、書くことが多くて結構めんどくさいので後回しにしているのだ。申し訳無い。

閑話休題、今回のツーリングはトニ山さんが翌日が仕事であるということと、F1に万が一問題があった場合を考えて、「カフェ・ツーリング」にすることにした。要するに、ちょっと走って、メシを食らい、茶をすすって談笑して帰ってくるという、硬派な自転車乗りの方々から見たら軟弱な催しである。



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さて、その軟弱者の催しは、自宅のある東京都大田区から第二京浜をひた走り、横浜の中華街でナニをするというものだった。片道20キロに満たないわけだから、出発時刻も何せ遅い。11時半である。第二京浜の善き所で集合した僕達は、アウトしたばかりの完成車を見ながら、世間話をした。その際、キャリパーブレーキ初心者の僕は、ブレーキのセッティングを調整をしてもらった。ブレーキがひどく緩い状態だったのだ。

横で見てると、ブレーキパッドをある程度手で押さえながら、ワイヤーの仮止めをしている。そうか、そりゃそうだよな、とナットク。やはり経験者は違うね。とはいえ、このやり方を全く思いつかなかった自分が馬鹿に思えた。

さて、横浜に向かって走り始めて気付いた。何だか全然進まないぞ?当日は向かい風だったが、どうもそれだけではない。何かペダリングがしっくり来ない。走りながら考えてみたら、要するにサドルのポジションを調整するのを忘れていた。低すぎたせいで、太もも前側を総動員して漕いでいたのだ。これでは膝にくるし、トルクが出せない。これに気付いた時には、すでに横浜の赤レンガ倉庫に到着していた、気づくのが遅すぎる・・・・・。

僕らは、中華街でメシを食い、元町でカフェをした。時間は飛ぶように過ぎていった。その間、僕はしきりに峠のヒルクライムに素晴らしさを語り、トニ山さんを困惑させていた。つまり、峠勧誘である。これは自転車乗りの誰もが通る道程であり、決して避けることは出来ないのだ・・・・・・。



・・・・・・・・・・・・・・・


さてその帰り。帰宅前に某ショップの二子玉川店に寄ることになり、道に詳しいトニ山さんが前を牽いてくれた。行きは向かい風だったわけだから、帰りは当然追い風である。しかも、下り基調である。普段は出ない速度で、しかも前を引いてもらった僕はものすごく快適だった。

「トニ山さん、こりゃ速度も出て楽しいねえ!」

「・・・・・・・・。」

もっと速い段階で前を交代すればよかったなあ。すいません、トニ山さん。

さて、ここで更に気付いたことがある。自転車改造中、ほとんどこういった自転車には乗っていなかったから、僕は自転車のペダリングを忘れていたのだった。具体的に言えば、膝下は出来るだけリラックスしなければいけないのに、平地でもパンパン。体幹も動員できてない感じだ。それが何となく良くなってきたのは、ニコタマからの帰り、また向かい風で前を牽く時だった。 膝ではなく、脚の付け根を上下させるのと、膝下を脱力するのを意識することが出来た。トルクを掛けようとする時、逆に出来るだけ脱力を意識すると、うまくハマることがあるのだ。そして大分ペダリングがよくなった所で帰宅。





初乗りの時は普通、インプレの一発もかますのが普通だと思う。しかしながら、僕は上記の様な状態である。つまり、まともなインプレが出来る状態では無かったのだ。もうちょっと走れるようになったら、詳細はインプレしたいと思う。折角の新フレームなのだから。

最後に、トニ山さんに感謝。いろいろご協力ありがとうございました。











2011-03-10

単独じゃないはじめてのツーリングについて③

 三浦の海岸沿いは、南国風の椰子の並木と薄曇りの暗い水と砂浜が続き、シュールな違和感を感じさせる。太平洋側の明るいイメージからはギャップがあった。降ったり止んだりの天気の為、レインコートは着たまま、外は肌寒いにも係わらず、肌着は減量中のボクサーのように汗で濡れていた。

 サイコンを失くしてしまった為、僕が前を引くときは速度が速かったり遅かったりと一定の速度で踏むことが出来ず、トニ山さんは詰まったり遅れたりしていた。そもそも体で速度感をつかんでいるべきなのだろうが、集団時はサイコンで客観的に速度を測ることも必要だと思う。悪いことをしたなあ、と思う反面、やはり一人ではこういったことは気づけないと感じていた。ちなみに、サイコンは先般参加した4Hエンデューロの輪行時、どこかのタイミングで失くしてしまったのだった(この話は又、今度)。

 途中迷って油壺の袋小路に行ってしまったが(その時はトニ山さんのガーミンに助けられた)、何とか三崎港に到着。時間も丁度12時半だったので、昼飯にすることにした。そう、ようやく僕のオーガナイズ能力を発揮する時が来たのだ。

 しかし、良く考えたら三崎港で飯をくったことなど無い。かなり急に決まったことだから、事前調査もしてない。結局、港の周りをあてどなくさ迷う羽目になってしまった。つまり、今日一番の見せ所でこけてしまった、ということだ。結局、港の目立つ寿司屋に入ることにした。

 店に入り、価格を見た。

 僕 「マグロ丼、2000円・・・・・、これは一体?」
 トニ山さん(想像) 「中トロ丼、3500円。・・・・・・・何が起きたっていうんだ?」

 僕はマグロ以外の握り寿司を食べた。トニ山さんは、中トロ丼を食べた。テレビでは、昼のワイドショーがしきりにくっついただの、別れただの、どうでもよいことを放送している。僕らは余り会話せず、食べた。しずかな時間が流れた。トニ山さんはとても勇気があるな、と僕は内心思った。こうして、現地で安くうまいものを食う、というプランは脆くも崩れたのであった。



 ハラも膨れた所で、再出発。今度は三浦半島の西側を回る。葉山・逗子という高級リゾート地を経由して鎌倉、そこから横浜に帰るというルートだ。エネルギーも蓄えたし休んで疲労も回復したから、ガンガン行こう、と思ったもの束の間、葉山辺りで雨が本降りになり始めた。終いには、ブレーキもスベって効かなくなってきてしまった為、近くのファミレスで雨雲が通り過ぎるのを待つことにした。

 僕はパフェを食い、トニ山さんは和風のスイーツを食いながら、ひとしきり昔話に花を咲かせた後、話題は肝心のサイコンとスマートフォンの話に移った。僕はトニ山さん所持のガーミンやエクスペリアでグーグルマップを見て、度肝を抜かれていた。ポケットマップの時代は終わったのだろうか?いや、行く先々で迷うのは、ツーリングの醍醐味である。それをスポイルしてしまっては、いや、その分もっと違う楽しみに(以下略)。雨は止み、僕らは店を出た。

 その後、僕らは大層余裕が無くなり(心も身体も)、鎌倉もスルーして、とにかく家を目指した。もう日が暮れかけてた上、一旦里心がついてしまったら、後はもう消化試合でしかない。トニ山さんはハムがいってしまったようで、特に登りは辛そうだった。僕もハムのダメージはかなりあり、もうトルクを掛けて走ることは出来ないから、回転させて進んだ。

 7時半頃、出発地点に到着。僕らは固く握手をした。自転車はいい、たった一日のツーリングでも、一緒に走った相手を「戦友」にすることが出来る。一人で走っていても、この充実感は中々味わうことは出来ない。僕らは帰路についた。

(完)

 

 



2011-03-08

単独じゃないはじめてのツーリングについて②

 横浜までは第二京浜、そこからは16号線で南下、横須賀・観音崎を経由して三崎港に行くルートだ。30分ごとにトニ山さんと先頭を交代しながら、ペダルを回した。前を引くより、後ろについていくのが何気に辛かった。ハムストリングスは、先週の4Hエンデューロから何故か回復していない(4日以上経過しているのだが)。というか、脚の裏側は一旦ダメージを受けると、中々回復しないのが通例になってきている。やりすぎだろうか、例のアレ

「結構、回せないっす。」

「またあ。」

何度か同じ会話を繰り返した後、気づくと金沢八景を越えていた。いつもと違って、あまりハラは減っていない。有る程度運動強度を一定させると、ハラが減りにくいというのを聞いたことがあるが、本当なのかも知れない。このまま永遠に腹が減らないとしたら、僕は・・・・・。

「ちょっと止まって。」と、トニ山さん。

歩道のガードレールに自転車を寄りかからせて、六角レンチを取り出したトニ山さん。聞くと、ハンドルがずれてきてしまったとの事。ステムを締める時、片締めだったのかもしれない。僕は近くの自販で買った缶コーヒーを飲みながら、昔の思い出を思い返していた。Vブレーキのバナナをはめずに走り出したあの頃のことを。ツーリング中のコーヒーは、トイレが近くなる上に胃がやられやすいので避けるべきなのだが、僕は止められなかった。

辺りを見ると、そこは駅前のようで街道沿いには何軒かの商店があり、わき道には屋根つきの商店街があった(あえてアーケードとは言わない)。16号線は京急線に沿うように作られており、5キロも走らない内に次の駅の駅前についてしまう。時間帯に係わらず、歩道の往来もあるし、電車の本数もかなりあるようだ。要するに、京急沿線というのは、かなり栄えてる地域ということだ。自転車に乗り始めて分かったのが、地方の衰退である。電車の本数が限られる、あるいは廃線になってしまった地域は、駅前から廃れてしまっていた。理由は簡単、住民はマイカーで移動するからだ。そうなると、道には人が殆ど歩かなくなる。そして商店は街道沿いの大手チェーンの巨大店舗とパチンコ屋だけが栄えて、その地域の個人商店は閉店を余儀なくされる。そして、住民はますます電車を使わず、街道沿いの巨大店舗に吸い込まれていく。まさに負の連鎖である。僕は、都心の路線へ直接乗り入れする私鉄のアドバンテージを改めて思った・・・・・・。

そんなことを考えながら、僕はトニ山さんの自転車のハンドルを観察していた。「僕のより、リーチが短くて握りやすそうだ・・・・。」(前述のくだりと全く関係無い感想。)

そんな感じで横須賀までは、あっという間だった。トニ山さんが「三笠公園にいくなう。」というので、そうすることにした。横須賀には何度も自転車で来ているが、観光らしい観光をしたことがない。僕は横須賀に関する少ない知識を絞りだしていった。「タイガー&ドラゴン!タイガー&ドラゴン!」

そうそう、それそれ。

三笠公園は、別にドンツキには無かった(と思う)。この時、初めて三笠というのが戦艦の名前だと知った。金が掛かるので、三笠には乗らなかった。三笠公園は意外に小さかった。しばしの休息の後、僕らは出発した。

空は薄曇り、小雨が降ったりやんだりして蒸し暑かった。僕はレインコートを着たり脱いだりと忙しいかった。トニ山さんは、ロング慣れしていない、という割りにはペダリングは一定で、疲れているのかどうなのか、よくわからない。観音崎までの道程は海沿いが多く、信号が割りと少ない。僕らはひたすらペダルを回して進んだ。













2011-03-03

単独じゃないはじめてのツーリングについて①

「自転車は一人で乗るもんだ!」

などと粋がって、去年は一人で能登半島まで一週間かけて行ってみたり、チームで楽しそうに走る人達を尻目に一人でサーキットを周回し続けたりしてきたものの、先般参加した4Hエンデューロでは集団に全くのれずに撃沈。さすがに「このままで、僕は速くなるのだろうか?」などと多少の不安が芽生えつつあった一昨日、「明日は有給休暇なう。」とつぶやいた所、ロード乗りの唯一の友人から「明日、一緒に走ろうなう。」などとリツイートが(あったかどうか、・・・・・なう)。

こうして、僕は平日にとった有給休暇を過ごすことになった、まさに、ツーリングは突然に。


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3/2(水)、AM 8:00、 第二京浜と呑川の交差するとこに集合。これが前日決まった唯一の決め事だった。僕は当日、カッパをリュックに詰めて、集合場所に颯爽と出発した。勿論、遅刻だ。礼儀を重んじる僕は、出発前に「遅れます」と一本のメールを送信するのを忘れなかった。

かくして、友人は既に其処にいた。この友人は中学の頃の同級生で、SNSなどで交流はあったものの、実は中学以来の邂逅であった。このブログ内では、友人を通称「トニ山さん」ということにしておく。

劇的再会、のはずだったが、ロクに話もせず走り始めた。どうせ途中でヘトヘトに疲れて、休憩しながら話す機会はある(そしてそれは実際、予想以上にあった)。友人が、「丸刈推奨の行き先で行こう。(要旨)」とのことだったから、最近お気に入りの「三浦半島一周」コースを選ぶことにした。一人ツーリングでは、ロクに食わないことが多いが、友人がいるということは当然その辺りもオーガナイズしてしかるべきである。そう考えると、行き先にグルメは欠かせない。更に自転車乗りが必要とする良質なタンパク質は魚介類である・・・・・・。

・・・・・・・港だ!

三浦半島を選んだ理由はズバリ、それだった。僕はこの小旅行が素晴らしいものになるものと、胸をふくらませていた、この時までは・・・・・・(つづく)。

(この最後のフリは通常、なんらかしらのアクシデントを想起させる時に使うものですが、今回は使いたいから使っただけです、念のため)




2011-02-28

乗っている自転車について

僕が乗っている自転車は、Giant escape R3 (グリーン)である。前口上でも触れたが、元々サッカーのスタジアムまで行く足として買った。それまでは、クロスの「ルック」車やママチャリに乗り、千葉や大宮まで行っていたのだが、さすがに更に遠い場所(当時は清水や甲府を想定していた)に行くのはしんどいので、年末調整で戻ってきた金で購入したのだった。

勿論、この当時は自転車に5万円も費やすなど、清水(こっちはキヨミズ)から飛び降りる心地だった。これが大体2010年の2月か3月頃だったと思う。この当時は、世間で自転車ブームがあり、それが若干下火になりつつあった時期だが、そんなことなど一サッカーマニアの僕は知る由もなかった。ただ、前より速く、且つ、遠くのスタジアムに行けることを喜んでいた。

さて、買ったのは当然ノーマルのescape R3だが、僕は早速改造を始めた。まず荷台を付け、ブレーキを替え、色々やった結果、半年も経たない内に、以下のようになった。


  • フラットバー → ドロップハンドル
  • ショートVブレーキ → ディオーレVブレーキ
  • グリップシフト → バーエンドコントローラ(フリクション)
  • リアディレイラ(スラム) → リアディレイラ(ディオーレ)


いっぱしのシクロクロス車に早変わりである。この後、しばらくの改造休止期間を経て、更に以下の改造を行った。


  • 完組みホイール → 手組みホイール(自分でくんだ)
  • クランクセット(FSAデフォ) → クランクセット(105)
  • フロント・リアディレイラ(FSA/ディオーレ) → フロント・リアディレイラ(105/105)  


こうして、デフォルトのパーツはフレームセット以外は無くなり、完全に別の自転車に生まれ変わったのだった(笑)。そして、組み付けやメンテナンスの大半は押さえることができたのだった。ここに至るまで、おおよそ一年の歳月が過ぎた。

その間、幾度かの無謀なロングライドやブルベ、エンデューロなどを経て(この辺りのエピソードは、現在のネタが尽きた段階で順次使う予定)、無謀にもこの春からJCRCに参戦することした。
JCRCとは、ズバリこれ。要するに、アマチュアの自転車レースのシリーズ戦を行う団体である。JCRCのレースでは、クラス分けがあり、順位によってポイントが加算され、年間チャンピオンが決まるという本格的なレギュレーションを持っている。さて、その目的はというと・・・・・・

ズバリ、「走力のアップ」!目指せ、時速40キロ台で巡航、である。

チームに入っていない僕にとって、こういった実戦の場こそが、限界突破の糸口になると考えたのだ。 

第一戦のエントリは逃してしまったので、第二戦の修善寺CSCが初挑戦となる。

さて、どうなることか、それ以前に、修善寺へは、自走で行こうか?輪行で行こうか?悩みは尽きない。ちなみに、次の自転車の購入資金も年末調整のお金でどうにかしようとしていることは、やや秘密事項(社外秘)だ。









2011-02-26

前口上

気づいたら、自転車にハマっていた。
乗る方もハマッているが、改造する方にもハマっている。

そんなわけで、その両方についてテキトウに書いていくのが、この日記です。個人的な記録として細かいことも書いていくけど、あくまで個人的な感想レベルなので真に受けないでほしい。
そして、公開したからには楽しんでいただければ幸いだけど、そこまでのレベルに達するかは不明。

少なくとも本人は楽しむことします、折角の趣味なので。


2012/09/18
本人記す。

免責事項:
書き終えたら殆どチェックしないで日記を公開しています。そして、後で変な部分に気づいたらバンバン修正をします。そういう訳で、「書いてあることが以前と変わったってるじゃないか。」なんてことについてはご容赦のほど。